※本記事は、旧ブログ「なるさわばしこLABO」の「積極的講師という選択」に修正を加えた上で、転載したものです。
2019年現在、なるさわばしこは退職し、今は小学校の先生ではありません。転載にあたって、記事執筆当時を振り返った「懺悔と釈明の章」を加筆しました。
当時も今も、正規で働く先生や社会人の方を馬鹿にする意図はなく、あくまでも「生き方働き方の提案」であるということをご理解ください。発信が順調で、信者の崇拝に酔っていた時期の記事ですので、若さ故の調子乗り具合も合わせてお楽しみ頂ければと思います。
はじめに
大学4年生の方、講師をされている方。今年の教採(きょういんさいようしけん)はいかがでしたか?
一次試験で不合格になってしまった方は、来年の進路を検討されている頃でしょう。
二次試験まで進まれた方は、結果が出るまでドキドキの日々を送っていることでしょう。
今回は、「講師」という選択について、ポジティブな考えを述べたいと思います。
講師は、正規の先生になれなかった人が仕方なく選ぶ敗北ルートではありません。
積極的に講師を選ぶのも、アリ!です。
「積極的講師」の説明はこちらです。

正規の先生 講師の先生
申し遅れましたが、私の職業は「小学校の先生」、
そして身分は「常勤講師」です。
ちょっと複雑になりそうなので説明しますね。
公立学校で勤務している「先生」には、いくつかの雇用区分があります、
講師になる人は、ほとんどが教採に落ちた人です。そもそも自己肯定感が下がっています。さらに、雇用は一年契約で、毎年どこの小学校に行くかの希望も出せません。
教職でない方に話すと驚かれることが多いのですが、「教員免許さえもっていれば、採用試験を通過しなくても担任の先生になれる」のです。
この常勤講師制度は、何十年も前から、育休や産休の先生の代わりに、学校現場を支えていました。
私の県の場合、一学年三分の一から半分くらいの割合で、講師です。
皆さんも小学校時代、若い先生が担任になって、喜んだ経験がありませんか?
あのうち何人かは確実に講師の先生だったはず。
教採に落ちて考えたこと
先生としての経験は今年で2年目、教採を受けたのは今回が3回目。今年度は恥ずかしながら学科試験の点数が足りず、一次試験で落ちてしまいました。
でも、今年は、不合格通知を見たとき、落ち込むよりも安堵している自分がいたのです。
それは2回目の受験まではなかった気持ちです。
なぜでしょうか。
考えてみると、年明けに発信を始めたことが大きいのだと思います。
経験年数や立場などがそのまま実力に置換される現場と違い、ツイッターやブログでの評価は私自身のよさをそのまま認めてもらえ、本当に嬉しかったのです。
こういう自分の居場所ができたことで、現場で自尊心を少々傷付けられてもへっちゃらになりました。
そして、今までマイナスだと思っていた講師という立場さえも、魅力あるものに思えてきたのです。
講師のメリット
①正規の先生とほぼ同じ仕事ができる
非正規の講師でも、学級を持ち、担任の先生をすることができます。
子どもと接する事は、教職のもっとも大変だけれど、やりがいのある部分。それを正規の先生と同じように経験することができるのです。
②一年という身軽さ
講師は一年契約です。しかし講師の職はほぼ確実に毎年発生するもの。次の年も継続して働くか、別の仕事を選ぶかの選択ができます。人生の中で時々先生になるという選択肢もアリです。
③色々な学校現場を体験できる
新卒採用の先生が2校目を経験するのは最低でも三年後。しかし講師の先生は同じ年数で3校を経験することができます。色々な学校に入り、システムの良さや改善点を感じることができるのです。
また、人間関係が合わなくても、一年で穏便に離れることができることはメリットでしょう。
④分掌が軽め
学校経営に欠かせない分掌は、その学校での経験年数で多寡で決まることが多いです。
責任と事務処理の重い「主」の立場には比較的なりにくいと言えるでしょう。(もちろん学校の実態により例外はありますが)
⑤正規の先生に近い水準のお給料がもらえる
準公務員ですから、十分な額のお給料がもらえます。月20万円+年2回のボーナスが出ます。
弱者だからこそ輝ける
正規の先生と比べると、講師は不安定な身分、弱者です。
しかし、なるさわばしこは、「弱者であるからこそ、子どもの反応に敏感になることができる」と思っています。
毎年異動があるため、赴任先の学校はいつだって一年目です。学校固有のシステムの理解に乏しいため、何年もいる先生のように勝手がわかっていて、発言権があるわけではありません。子どもの実態だって分かりません。全員が初対面です。
だから、正規の先生よりも、講師の先生は感覚を研ぎ澄まし、子どもの姿を見なければならないのです。
この子はどうして問題行動を起こすのか?
システムをどう変える必要があるか?
どうすれば笑顔になってくれるか?
それは瑞々しい感性です。
「かいとうキャット」はそこで生まれたのです。
おわりに
教員採用試験に落ちてしまった人、落胆する必要はありません。もし正規を目指すなら、何度だってチャレンジすればいいのです。
それに講師もいいものですよ。
現場にいて、講師の立場でも誇りをもち仕事をしている人を何人も見てきました。中には配偶者の転換に付き添い、こちらの県までやってきて、「もう教採受けるの面倒なのよね〜」といったベテラン講師の方もいらっしゃいます。
私も身軽な今の立場が、結構気に入っています。
来年は違う仕事をして、またこっちに戻ってくるのも面白そうです。
生き方は色々ですよ。
積極的講師という選択肢、アリだと思います。
懺悔と釈明の章(2019年10月加筆)
………
…………という記事を公開したのが一年前の話です。
牧歌的な私のブログは、瞬く間に7000PVという驚異的な数字を叩き出し、熱狂的な信者とアンチを生み出しました。質問箱には、こんな感じのアンチ投稿が相継ぎました。
顔が見えないインターネットは恐ろしいところですね。記事の内容自体は、「非正規だけど私は楽しくやってるぜ!」というただの個人的な主張なのですが、そうしたポジティブさがむかついて仕方ない人達が、一定数存在することを知りました。
日本人に根強い、正規雇用信仰の強さ(裏返せば非正規雇用への差別的見方)も一因だったのでしょう。
受けた批判を大きく分けると、
批判その①学力がないくせに教員をやるな
批判その②学力が無くて落ちたのだから偉そうに発信するな
批判その③非正規雇用を持ち上げるな
といった内容でした。
ひとつずつ懺悔と釈明を加えたいと思います。
批判その①学力がないくせに教員をやるな
記事中には書いていないのですが、なるさわばしこは学科試験に受かったことがあります。ここ数回は学科試験に落ちていたので、「教採落ちました」と書いたのです。
また、正規雇用として教員をやるなら、教採の合格は必須ですが、非正規の講師として働くならば書類と面接だけで良い状況は、もともと存在しています。
「学力がない先生が教壇に立つのは不安」というご意見は最もですが、病休や育休や産休でいなくなる正規の先生の穴を、書類と面接だけで受かる講師で埋める状況は、ずっと前から続いているのです。
責めたいなら、私ではなくそのようなシステムにした人を責めてください。
多分教育関係の政府の偉い人だと思います。
……とはいえ、学科試験に受からなかった事実は、偉そうに言ってはいけないことでしたね。
たしかに私は、勉強ができない先生でした。
正規非正規関係なく、それは恥ずかしいことです。
「積極的講師を名乗るなら教採に受かれ」という意見に賛成はしませんが、学力面は、何かしらの補填案を考えた方が良さそうです。
批判その②学力が無くて落ちたのだから偉そうに発信するな
批判その③非正規雇用を持ち上げるな
↑は正規雇用信者の方からよく受けた批判です。②と③、まとめて答えたいと思います。
これについては語ることがたくさんあり、また他の記事で扱いたいテーマなのですが、そもそも
正規=安定
非正規=不安定
という考え方が、時代の流れに追いつけてないのでは?と考えています。
経団連の会長もトヨタの社長も「終身雇用は今後難しいかもね」と言ってることですし。
これからの時代は、非正規雇用の立場の人達が増えていくでしょう。望んでなる人も、そうでない人も。
そうした時代に備えて、自分なりの経験を記すことは、人の役に立つことだと私は思うのです。
だから今後も発信は続けていきたいと思います。
こういう姿勢が「偉そう」に感じますか?
何度も何度も、色々な記事で書いていることですが、私は正規雇用の働き方を馬鹿にしているわけではありません。
ひとつの仕事をずっと続けることはすごいことです。
そうしなければ見えない世界もあるでしょう。
私は、「たくさんの人が自分に合った働き方を、誇りをもって選べる社会になったらいいな」と思っているだけです。
そして、「積極的講師」が、私には合っている働き方なのです。
また何年かしたら、教育界に戻りたいなと考えています。
気の合う方。どうぞ真似してください。
積極的講師という言葉は、自由に使ってください。
気の合わない方。私はあなたを否定しないので、できれば尊重してください。