それでも、私たちは愛さねばならない

ばしこイズム

愛すること。

子どもが誰であっても、何であったとしても。

それはきっと、覚悟に近い。

 

本記事は、旧ブログ「なるさわばしこLABO」から転載した記事です。所属等、現在の状況とは異なる記述がある場合があります。

 

 

はじめに…不適応児童の頭の中

 

20年前ほどのこと。

私にとっての世界は、うすぼんやりとしたベールに包まれていた。

 

小学校での記憶は、いつもおぼろげ。

 

教室を満たすざわめき。かん高い声、笑い声、怒った声。

ちっぽけな私の体。サイズの合わない椅子の下で、足をぷらぷらさせていて。

木の椅子のささくれを、太ももの下で確かめながら、ずっと思考は彷徨っていた。

 

喧噪の中、教卓に手をついた先生が何事かを話し始める。

大きな声だ。黒板に白い線が描かれてゆく。

 

かさ。さら。ぱりぱり。

私は先生の方に目線をやりつつも、椅子のささくれをはがすことがやめられない。

カリカリと削る人差し指の爪の先に、木くずがたまった、ぷくっとした感触が、何とも言えず安心するから。

 

突然、先生の声は聞こえなくなる。

古びたゴムと木の床を不愉快にすり合わせながら、

子ども達はいっせいに立ち上がる。

 

弾かれたように後ろへ向かう皆の表情が不安を煽り、

私もまたついて行く。

 

教室の後ろで、背中がひしめき合っている。

右に左に動いては、絶えず順序を変える背中。

横向きにおしゃべりする男の子の2人組が、先生の大きな声でしゅんと前を向く。

 

私はどこに並ぶのだろう?

背の順だろうと出席番号順だろうと関係ない。

いつもよく分からないから。

 

困った顔でウロウロしていると

乱暴なしぐさで、私の服をふたつの手がつかむ。

「こっちだって!」

ぐいっと引っ張られておさまった場所。

先生は何も言わないから、合ってるみたいだ。

 

いったい、これから何をするんだろう?

 

「スター」だった私

上に記したのは、私の20年前、小学2年生の頃の記憶を思い起こしたものです。

 

私はかつて、不適応児童でした。

 

先生の言っていることは半分も理解できず、テストの点数は常に低迷。

授業は45分間じっと椅子に座って我慢するものだと思っていて、

周りの子ども達の動きを意味も分からず真似していました。

手紙や集金は滞りがちで、言われてからようやく出す始末。

宿題はやり方がわからないので、いつも「忘れました」と謝っていました。

 

目立った悪さはしないものの、いちいち声をかけねばならないので、

先生も手を焼いたことでしょう。

 

学級編成の際はきっと、「要注意児童」として扱われていたのだと思います。

「片親、手紙集金滞りがち。宿題等のサポートも全くなし。無気力、指示が通りにくい。」などど引継ぎ資料に書かれていたはず。

 

どの学級にも程度の差はあれ点在する、スターの一人だったのです。

(※スター……学級編成の際、問題児はひとつのクラスに集中するととんでもないことになってしまいます。それを防ぐため、旧学年で問題のあった児童達を「スター」と呼び、問題の程度ができるだけ均等になるように振り分けるようになっています。)

 

私などを担任する先生方はさぞ大変だったかと思います。

「そんなに私の授業がつまらないのか」「やる気がない」と叱責されたことは数知れず。

私はずっと、頑張れない自分を責めていました。

 

皆と同じように、集中できない私を。

皆と同じように、覚えられない私を。

皆と同じように、笑顔になれない私を。

皆と同じように、学校に通えない私を。

 

大人になるまでずっと。

 

不適応の原因は「やる気」ではない

時が経ち、

人生の激動期を乗り越え、

思考の萌芽を迎えた私は、

学校の先生になることにしました。

 

そして担任する学級で、自身を投影したかのような子ども達に出会ったのです。

 

彼ら彼女らは、程度の差はあれど、

まるきり勉強についてこられず、

服や髪はいつも汚れていて、

挙動が他の子どもとすごく違っていて、

ただただぼーっと椅子の上で時間を溶かしていて。

 

20年前の私を見ているようで、はっとしました。

 

どのクラスにも数人はいる、

彼ら彼女らはいわゆる「困った子」ですが、

注意深く観察していると、

 

問題を解こうとして前かがみになるも、視線があちこちに彷徨ってしまったり、

ぼーっとしている中皆が活動を始め、何をしたらいいのか分からず戸惑ったり、

教科書を忘れたけれどそれを言い出せず、呆然と座っていたり、

 

どうしたらいいか分からずに「困っている子」でもあったのです。

 

私は自身の経験と照らし合わせて、

ある仮説を考えました。

 

「これって多分、やる気云々の問題じゃないよな……」

 

不適応児童は思考のスペースの多くを「何か他のもの」に費やしている

 私含め、不適応児童は他の子どもと大きく行動様式が異なります。

と、いうことは、思考様式も異なるはずです。

このように。

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大多数の子どもが

家族の誰がもうすぐ誕生日だとか、

友だちの○○ちゃんは気にし屋さんだから言い方は優しくしようとか、

明日漢字小テストだからドリルの○番練習しとこうとか、

 

そういうことを考えるための思考のスペースが、「何か他のもの」に占領されているのでは?

 

例えばそれは、

暴力を受けている子どもならば、「生命の保持」かもしれないし、

暴言を受けている子どもならば、「精神の保持」かもしれないし、

ネグレクトされている子どもならば、「愛されるための多種多様な方策」かもしれないし、

発達傾向の子どもならば、「無理やり脳の中に入ってくる大量の視覚聴覚刺激をさばく」かもしれません。

 

その場合、彼ら彼女らにないものは、「やる気」ではなく「余裕」

 

暴力をうけないために、

責められないために、

大切にされるために、

彼らの思考は、萎縮に近い状態になっていると考えられます。

 

強制的にそうしたものに占領されてしまった結果、

残されたせまいせまいスペースでは、

この服昨日も着たっけ。それになんか臭う……とか、

○○君と仲良くしたいから、興味がありそうな昨日のテレビの話でもしてみようかな……とか、

考えるのはとてもじゃないけどできないでしょう。

 

愛することは我々の仕事

私たちは、教育者。

その仕事は、「子どもを教え育てる」ことです。

 

全教科の勉強を、人生観を、公を、規範を、たくさんの言葉を、見果てぬ世界を、教えることも

人間関係で、日々の習慣で、豊かな感情で、心を育てることも、

 

ぜんぶぜんぶ大切な、先生の仕事です。

 

……どうかその根底に、「愛すること」があっていて欲しい。

 

学校教育への「適応」か「不適応」で言えば、

先生になるような人はほとんどが「超適応」してきた人達なのだと思います。

 

「学校が楽しかった」という思い出がなければ、こんなに辛い仕事は選ばないからです。

 

今先生をしている人たちは、かつて子どもだった時、

45分間の授業がとても楽しかったり、

先生の話す言葉に親和性が高く、思想に共感できたり、

友人関係が良好でたくさん友だちがいたり、

色々な面で「適応」できていた人達。

 

だから理解がむずかしい。

45分間の授業がとてもつまらなかったり、

先生の話す言葉がチンプンカンプンで、意味不明に感じたり、

人との関わり方が分からなくて、友だちが一人もいない。

そんな「適応」できない子ども達の気持ちが。

 

放課後、職員室で「○○ほんとにおっせえんだよな。だから他の△△や◇◇も油断するんだ」と。

引継ぎの時、「この子ほんとに何もやらないです。無気力で。言われなきゃ大丈夫って思ってるみたいで。」と。

 

聞いた時に、私はとても悲しくなります。

 

先生の仕事は、周知のとおりブラックです。

全教科の授業準備もそうだし、多種多様な子どもと保護者対応、本質的でない大量の事務作業……

思考のスペースに空きがないのは、私たちだって同じ。

 

それでも。

 

それでも、私たちは愛さねばならない

愛さねばならないんですよ。

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子どもは、想像を絶するような業を抱えていることがあります。

実際体験していない人には、考えもつかないような環境で。

理解はできないかもしれない。

 

でもきっと、受容ならできる。

 

「適応」できない子どもを追いつめるのではなく

あたたかく受容して

圧迫されているスペースを少しでも開放し、

本来できたはずの、思考の余地を作り出す。

そうすることで、彼ら彼女らが幸せになる可能性を増やすのが我々の仕事。

 

子どもが誰であっても、何であったとしても。

私たちは、愛さねばならないのです。

 

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