本当は立つことのできた女の子の話。
中学1年生の私はある日、学校に行けなくなった。
理由は小学校の頃から続くいじめ。
煙草を吸ったり髪を染めたりする姉と違って、私は静かに荒れた。
車で無理やり学校まで連れて行かれた日は、飛び出して図書館で一日を過ごした。
自転車で家出もした。
そうこうするうち、周りは力ずくで登校させようとはしなくなったかな。
部屋に引きこもってネットゲームにはまり、昼夜逆転の生活。
家族は色々と言いつつも、しばらくはそっとしておいてくれた。
いつだったか、どんな症状だったかは忘れたけれど、
病院のドアをくぐった時、なんだか急に目がヒリヒリしてきた。
違和感はどんどん大きくなってきて、ごしごしごしごし。目をこすったけれど、おさまらない。
しまいにはその場に座り込んでしまった。
見兼ねた病院の受付の人が、車椅子を持ってきて、それに腰かけた瞬間、
なんだかとっても、しっくり来た。
もう二度と、自分の足で歩けないような気がした。
その後内科や脳神経外科に回されたはずだけど、何を答えたのかは覚えていない。
とにかく原因不明ということで、検査入院の運びとなった。
***
脳神経外科の入院棟は、ハッキリ言って介護施設の様相を呈していた。
大多数を占めるのは、私と同じように歩けずに、車椅子に乗り、生活の全面倒を見てもらっているお年寄りたち。
もちろん大も小もだだ漏れだから、入院棟はいつもくさい。4人部屋だけど、時々看護師さんが同室の人のオムツを代えることがあって、そういう時は布団に顔をうずめてこらえた。
どうしても歩くことはできなくて、私は完全に車椅子の生活になってしまった。
家族は心配して、毎日のようにお見舞いに来てくれた。お菓子をもって。
当時好きだったおっとっとや、マクドナルドのホットアップルパイ。
家で見るのと違い、母は病室で、とても快活に笑っていた。
「早く歩けるようになるといいな!」
家族と会うことが楽しみに感じるなんて。ここでだけ私たちは、健全な家族でいられたんだ。
病院の生活。食事は質素だけど3食きちんと出るし、看護師さん達は親切で、仕事の最中に私の話し相手になってくれた。
色々な機械を使って検査もしたし、リハビリもしたけれど、一向に歩けるような気がしてこなかった。
***
そういうわけで、私の入院期間はどんどん延びた。
中学生の女の子が、脳神経外科に入院することはとても珍しい。若い人がそもそも少ないから、
私はけっこう退屈していた。ただでさえ不登校で学校の勉強をしていないところに、入院生活だから。父が持って来てくれた本も、あっという間に読み切ってしまった。
ある日、歳の離れた友達ができた。
確か共有スペースで携帯をいじっている時に、声をかけられたんだっけ。
「こんにちは」優し気な声。
「こんにちは」
「お若いのに車椅子なの?」
「なんか急に歩けなくなっちゃって」
「あら大変ね。私もこの歳で癌になってしまって。健康って本当に大切よね」
杉本さんとはこんな感じの出会い方をしたと思う。50代くらいで、入院棟の中では比較的若い方。すこし白髪混じりの短い髪は淡い茶色に染めていて、細い目元が優しそう。柔らかい雰囲気の方だなと思った。
お互い入院棟ではほかに話せる相手がいないので、病室は離れていたけれど、すぐに打ち解けた。
***
またある日、共有スペースに行くと、杉本さんとは別の女性が大きなスケッチブックに絵を描いていた。
窓から見える 猫の絵だった。
「かわいい……」
「ありがとう。絵は好き?」快活な返事。
「はい。私も描きます」
「あら!嬉しいな。こんなに可愛い子がいるなんて珍しいね。今度あなたのことモデルにさせて!」
「私でよければ……」
それが新田さんとの出会い。
杉本さんと同じく50代くらいの新田さんは、とにかく明るくて意思の強そうな方。住まいは遠い県なんだけれど、出かけていて突然倒れた時、たまたまこの病院の近くにいたらしい。
「ほーんといきなりのことだから困っちゃうよねー!今はピンピンだけど一応検査の為に入院してるんだ」
細身で色黒、短い髪は白くてツンツンとしていた。彼女のハッキリとした性格のように。
2人で盛り上がっていると、杉本さんもやってきて、3人の親交がはじまった。
***
それまで学校という箱庭で生きてきた私にとって、タイプの違う友達というのはたいへんに面白かった。
「妹は昔可愛かったけど、もう最近は反抗期がすごくて。可愛さは賞味期限切れなんです。」
「お母さんはドラゴンボールで日本語を覚えたから、すっごく言葉遣いが汚いんですよ!」
「あはははは。鳴海ちゃんってほんとに個性的よね!」
「ね。面白いわねえ」
思ったことを素直に言っても笑ってくれる2人が好きだった。
杉本さんから誘われて、病室で一緒に「さとうきび畑の唄」を観た。戦争の描写がすごくリアルで、撃たれて死ぬ少年に心を痛めていたな。
「ペイントボールですからこれ!大丈夫ですよ!」と見当違いの励ましをしてしまったんだけど、杉本さんは優しく微笑んで返してくれた。
杉本さんの病室はいつ訪ねてもよかったんだけど、ときどき、癌の治療に集中するため、ドアが閉ざされていることがあった。
【面会謝絶】
札に手を触れると、後ろから来た新田さんが「今頑張ってるところなのよ。ちょっと話せる余裕はないだろうからあたしと遊ぼ」と声をかけてくれた。
「そこにいて、窓の外を眺めるように」
新田さんはスケッチブックにボールペンでさかさかと私を描き始めた。
画風はかなり写実的で、短い線を何度も重ねている。バランスは必ずしも整っていないけれど、描く対象への丁寧な眼差しが1つ1つの絵に表れていた。
素敵だなと思った。
「ほんとにきれいよ。さしずめ車椅子の美少女ね」
「……ありがとうございます」
社会と隔離された私は褒め言葉に飢えていた。長い睫毛。筋の通った鼻。ひとつひとつ言葉に出して価値付けされると、なんだかふわふわとした気持ちになった。
完成した絵に描かれていたのは、浮世離れしたような美しい少女だった。
これが私。
「あなたは美人なのよ。自信持ちなさい!」
***
4人部屋の私の病室は、入れ替わりが激しくて、空いたと思ったらすぐに新しい人が入ってくる。聞けば私の病室は、比較的元気な人用の部屋らしい。
その日も新しい人が入って来たと思って、入口の名札を見たら驚いた。
小学生の時、同じクラスだった女の子の名前だ。
数年前だけど、私が転校したばかりの時に結構話したり、仲良くした子だ。家に遊びに行ったこともある。
しばらくして、ベッドのカーテンが開かれた。
「愛梨ちゃん……一体どうしたの?」
愛梨ちゃんの頬は真っ赤にふくれていた。
「あはは……オヤジに殴られて」
初めて知った。愛梨ちゃんは虐待を受けていた。
きっかけは些細なことだ。継父と母親との間にできた弟と喧嘩をして、愛梨ちゃんはその子を叩いてしまった。激昂した父親に、気絶するまで顔を殴られ、止めようとした母親が救急車を呼んだのだ。
「でもさ、もともと家の鍵をアイツが無くしたから喧嘩になったんだよ!酷くない?」
「酷い……」
私は自分が家族から受けている扱いと愛梨ちゃんを比べて、心から同情した。少なくとも私は、家族から暴力を振るわれたことはないから。
「ほんと、酷い父親だよね」
愛梨ちゃんの寂しそうな顔、初めて見た。
2日で退院したけれど、今回の件を受けて、警察から児童相談所へ通達が行ったらしい。大人達が彼女を救ってくれることを、私は祈った。
愛梨ちゃんが退院する少し前に、新田さんは私たち2人の絵を描いてくれた。私たちが話す様子を優しく眺めながら、愛梨ちゃんは絵の中でも左の頬を腫らしていて、痛々しかった。
***
2週間が経ち、車椅子入院生活に退屈を極めた私は、共有スペースで車椅子ドリフトしたり、院内を探索したりと精力的に活動し始めた。
杉本さんも同じ気持ちだったようで……病院の敷地にいる野良猫の存在を聞き、夜な夜な観察に勤しんだ。
杉本さんに車椅子を押してもらい、ゆっくりゆっくり移動する。野良猫は茂みの中に何匹もいて、すごく楽しかった。
何日もすると、猫達の顔ぶれも分かってきて、
三毛猫だから、ミケちゃん。
身体が真っ黒だから、クロちゃん。
鼻にブチがあるから、ハナちゃん。
二人で名前を付けて遊んだ。
でもこれは、数日もすると看護師の人に「夜病室を出てはいけません!」と怒られてやめました。
年の離れた優しい友達。
毎日のように顔を出してくれる家族。
学校に行けと言われない生活。
猫たち。
入院生活は退屈だったけど、毎日穏やかな気持ちで日々を送っていた。
そうして1ヶ月が過ぎていった。
***
朝。
随分早くに目が覚めた。
ベッドの周りには、カーテンがかかっている。
少し身を乗り出して、そっと床に足をついた。
ぐ。
力を込めて、お尻を上げてみる。
ひと月近く歩かないだけでも、不思議なもので、身体はその機能を忘れかけていた。ふらつきながらも、二本の足で立つ。
見える景色に、違和感があった。
少しでも気を抜いたら、倒れてしまいそうだったけれど、
本当は、本当は、私は二本の足で立つことができた。
自分の力で歩くことができたんだ。
気付いてしまったいま、もうここにいることはできない。
私は病院を去ることにした。
***
「あたしたちまだまだいるから、遊びに来てね」
杉本さんと新田さんは、私の退院を喜んでくれた。
2人の住所を丁寧な字で書いた紙と、絵。
車椅子の美少女、私と愛梨ちゃんが話している様子、猫たちが描かれた絵。
そうしたものは、しばらくの間私の部屋に飾られていたけれど、その後どこかへ行ってしまった。
彼女たちに連絡をとるすべはもうない。
そんな15年前近く前の思い出。
ふたりとも、元気にしているだろうか。