大きな道路をいくつも横切った。
ぐねぐねぐねぐね、道を曲がった。
大学みたいな建物から、たくさんの大人が出てきた。
川の水面に浮かぶキラキラした光が綺麗だった。
知ってるレストランを見つけてほっとした。
景色は目まぐるしく変わっていく。
自転車を漕ぐ足は、わくわくとした気持ちに引っ張られるよう。
絶え間なく汗が吹き出し、Tシャツがべったりと肌にはりつく。
疲れたら段差を見つけては休んだ。
初夏の風が、熱い頬を優しく撫でる。
印刷してきた地図は自転車のカゴ。何べんも開くから、もうくしゃくしゃになっていた。
おおむね地図通りに進んでいた。分からない道は通りすがりの人に聞くと、何も聞かずに教えてくれる。
路側帯を走っている時に、警察の人に呼び止められた。
まさか……こんなところにまで捜索の手が?
「自転車の盗難届が出ていまして。同じ色なので一応確認させてくださいねー。」
自転車の所有者番号を確認すると、すぐに解放された。平静を装ってはいたが心臓が止まるかと思った。
夕方になるころ、延々と続いていた住宅街が途切れ、徐々にビルが増えてきた。首をいっぱい向けないと、全部が見えない高さのビルたち。
風が冷たくなってきた。
地図が、終わる
夕暮れの空を淡く照らす、ここは東京。
東京駅。
なんて綺麗な場所なんだろう。
煉瓦で作られたお城みたいだ。下からぼうっと、誘うように光があふれている。
自転車を降りて、歩く。
私は無性に心細くなってきた。
印刷してきた地図の続きはもうない。
ここから先、どうするかを決めていない。
お年玉を下ろしたお金は3万円あった。
このお金を使ってEちゃんの待つ大阪に行くつもりだったけれど、
学校を終えたEちゃんからのメールには「ごめん」。
「お母さんに反対された……家に入れてあげることはできない。ほんとごめん」
Eちゃんは私のせいでお母さんと喧嘩になってしまったらしい。泣きながら電話をくれたけれど、私は胸の奥が凍り付くような気持ちだった。
Eちゃんは私とは違う。
帰る家がある。あたたかい家庭を持っている。
学校にはたくさんの友達がいる。
私の終わりのない愚痴にも文句を言わず、同情してくれる優しさを持っている。
周りを笑顔にできる明るさも。
私には何もないよ。
あてもなく彷徨いながら、夜を迎えた。
初めて来たさっきまでは、なんて美しい街だと思った。今は、高いビルたちの間に、道路の向こう側に、行き交う人々の視線に、底知れない暗闇を感じる。
家族からのメールは何度も何度も送られてくる。電話も絶え間なくかかってくる。
「どこにいるの⁉︎」
「無視するな 返事しろ‼︎」
「電話に出て‼︎」
うんざりして電源を切った。充電が切れそうだったので、近くのコンビニから拝借しようとお店に入ったら、私のすぐあとにやってきた人が、すっとペットボトルの水を取って、流れるように出て行った。
私がしようとしていることは、万引きと同じなのかな。思ってやめた。
東京の街で、真夜中を迎えた。スーツ姿のサラリーマン達が行き交う昼間と比べて、夜の人達はなんだかもっと近寄りがたい。
私には絶対着られない丈のスカートを履いた金髪の女の子が、高い声で笑ってる。
地べたに座るキャップを被った男の人達は、煙草をふかしてお酒を飲んでいた。
足が限界に来ていた。12時間自転車をこぎ続けて、くたくただった。
色々なことに疲れてしまって、私は道の端に座り込んでしまった。
自分を抱きしめて。
私は待っていた。
誰かが迎えに来てくれること。
寂しい私の、心の隙間を埋めてくれる誰かを。
できれば、Eちゃん。
夕方電話をした時は、「私、お年玉使って東京に行くよ!」とまで言ってくれたんだ。
もしかしたら。きっと。
息せき切って、私のもとへ走ってくれる。来てくれる。お母さんの反対を振り切って。全てを投げ打って。「遅れて、ごめん!」謝るEちゃん。私は怒らないよ。笑顔で「はじめまして、Eちゃん」と挨拶するんだ。
無理そうなら、見知らぬ人。
綺麗な女の人がいい。「あなた、大丈夫?」と優しく声をかけてくれて、一人暮らしの家に招いてくれる。シャワーを浴びたら手料理を食べさせてくれて、身の上を話したら「ずっといてもいいんだよ」ってなぐさめてくれる。夜は同じ布団で一緒に眠るんだ。
来るはずもない誰かを夢想する方が、いっそいい。
大切にされたかった。
「頑張ったね」って頭を撫でてほしかった。
頑張れない自分を認めてほしかった。
愛されたかった。
ただただ愛されたくってたまらなかった。
でもきっと、ずっと、たった一人だ。
膝小僧の上でしばらく泣いた。
私は写真が嫌いだった。家族写真すらもう何年も避けていて、残ってなかった。小学3年生の頃の写真をもとに、1000人の捜索隊が結成されていた。
駅の改札をぼうっと眺めていたら、私はあっさり見つかった。
車の中には、家族がみんな揃っていた。
「心配したよ」
「お腹すいてない?」
母のひとときの優しさに、無機質に頷きながら、私は窓の外の、黒い影たちを追っていた。
私がいるべきは、きっとここじゃない。