美しさ格差、それは夏休みの宿題のように。

SBBBA計画

なるさわばしこです。

 

突然ですがわたくし、幼き頃の二つ名は「白雪姫」。

白い肌にピンクの園児服がよく似合う、ちょっぴり泣き虫な、それは花も恥じらう可愛らしさだったんですのよ。

ご近所でも評判の美少女でした。

 

どうしてこんなことになってしまったのでしょう。

蝶よ花よと育てられ、神が与えたもう若さに胡座をかいているうち年月は過ぎ、気付けば私はアラサーになっていました。そういえば垢抜けない芋女だった昔から、「素材は…素材は良いから!磨けば光るから!」と見苦しい言い訳を重ねてきた気がします。

 

言うは易し、行うは難しとは、実によくできた言葉ですよね。必要性はぼんやりと感じつつもつい最近まで、私はスキンケアの仕方すら、きちんと調べたことがありませんでした。年齢と共に防御力の低下した頬が粉吹き芋の様相を呈するようになって初めて、ようやく化粧水と乳液の違いを覚えたぐらいのものです。

 

化粧品売り場のお姉さんは「肌表面の角層が、半分くらいめくれてしまっています」と言っていました。はんぶん。危機感を覚えた私は、お肌のATフィールドを展開するため、1本2000円もする乳液を手に取ったのです。

 

 

アラサー。何と暴力的に響く言葉でしょうか。

 

 

おなじ20代でも、前半戦と後半戦では見えてくる景色が全く違うものですね。数年前までは、ずっとずっと、20代が続くものだと思っていました。この現象には既視感があります。そう、小学生のあの頃の、夏休みのように。

 

やるべき宿題をいつか出す本気とやらに任せて、大自然に繰り出したあの日々。紫外線などなんのその!キャミソールの線を避けて、私を小麦色に染めた太陽。ああ、若さとはなんと儚い陽炎のともしび。

しかし無限に続くかと思えたそれには、限りがあったのです。8月の最後の週になって、夏休みは急に牙を剥きます。

 

「いつかやればいい」宿題は「いまやらねば死す」宿題へと恐怖の変貌を遂げ、ペース配分の甘い子ども追い詰めました。私は泣きながら漢字練習帳に「一二三」をひたすら連ねたものです。

 

後から聞いた話ですが、要領の良い子どもや、保護者の手厚いサポートのある子どもは、7月のうちに宿題のほとんどを終わらせていました。

 

夏休みの宿題も、美しさも、一朝一夕でなし得ることはできないもの。なぜ愚かな人間は、そのことをいつも忘れてしまうのでしょう?8月31日、暮れなずむ空を見上げて、幼き私は計画的に宿題をしなかった自分を責めました。残された宿題は、20年後のある日、いつの間にか出現していた目元の皺と本質を同じくしています。

 

毎日の保湿。適切な栄養と運動。日焼け対策。

 

20代の前半戦から、いえ、もっともっと前から、美しさを追い求めるレースは始まっていました。そろそろと助走をつけ、いつの間にやら私を追い抜いたのはまたもや「夏休みの宿題?テキトーテキトー」と、一見何もしてなさそうな、要領の良い人達。

 

 

彼女達はボンクラの私を欺くために、「何もしてない感」を装っていたわけではありません。

 

単に「習慣」の達人であっただけです。

 

 

ランドセルを背負って帰ってきたら、そのまま宿題のドリルを開いてこなすように。日々の営みの中に、美しさを保つ方策を自然と織り込んでいただけなのです。

 

この格差に気づいた私は愕然としました。

 

若さに胡座をかいていた私は、夏休みが残り少ないことに初めて気付き、そして決意したのです。

 

 

美しくありたい願いを、諦めたくないと。

夏休みはあと数日ですが、残っているから。

 

 

アラサー女子、周回遅れのレースは、まだ始まったばかりです。

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