女の子だけどゲームボーイが好きでした。
小学生の頃に買い与えてもらった任天堂のおもちゃ。それをきっかけに、私はゲームに魅了されました。小さな子ども時代は160×144ピクセルの画面にすっぽりおさまってしまいました。
人と話すことも集団で揉まれることも、感受性豊かな時期にほとんどしてこなかったせいでしょうか。大人になっても、私の世界の認識はどこかゲームチックです。
勉強して知識が増えると「賢さの能力値が上がったかな」とか、話している相手が気を悪くしたら「今好感度が下がったかもしれない」とか。
探索はゲームの世界でもリアルの世界でも苦手。情報量が多すぎて、街ではすぐ迷子になってしまいます。
そうしてゲームのように毎日を生きてきました。
「自分の人生、どうにもちょっとおかしいな」とは思っていました。
小学生の頃、専業主婦の母親はほとんど授業参観には来ませんでした。
忙しかったからではありません。外国人なので学校からのお便りを読むことができなかったのです。
学校で必要なこまごまとした物を用意してもらったり、宿題を見てもらった記憶もほぼありません。私からお願いするようなこともあまりしませんでした。
そんなことをしたら両親の機嫌が悪くなるからです。
毎月集金袋を持っていく時、父親に「小学○年生のくせに○○円もかかるのか。お前のせいで俺の財布はすっからかんだ」と嫌味を言われたり、明日着ていく体操着を失くした時、母親に「本当に全部見たのか!お前、私が探して見つかったらただじゃおかないからな!」と怒鳴られたりしていました。辛かったです。
先生に「忘れました」と言うのも、優しい友達に貸してもらうのも、毎日のこと。その度に居心地の悪い思いをしていました。
よその家では親が子どもを殴ったりなんかしないそうです。
私の姉は中学生でタバコを吸っていたのを父に見つかり、鼻の形が変わるまで殴られ続けました。
小学生だった私は隣の部屋でそれを見ながら、ずっと怯えていました。
「昨日さ、お父さんがお姉ちゃんをボコボコにしたんだよね。前からトイレでタバコ吸ってたの、とうとうバレちゃってさ……」
友達はこうした私の話をまるきり信じなかったり、返答に困っていたりしました。
子どもの頃なんとなく感じていた生き辛さは、大人になるにつれ正体が明らかになってきます。
色々と物事が分かってくるのです。
高校を出る年に母がいなくなって、父がいなくなって、借金を抱えてどうにか大学へ行って。
虐待について教わった時。
ようやく私は、自分の人生がハードモードだったことに気が付きました。
教育学の講義でした。先生が話した虐待の定義は、私の家庭では見知ったものだったのです。
大学のクラスメイト達がそれを聞きながら「酷い……」「どうして子どもにそんなこと……」と悲しそうにしていました。
彼女達との間に大きな格差があることを察した私は、プロジェクターの光だけが灯る薄暗い教室の中、ひとり衝撃を受けていました。
両親はよく私に「食事も食べさせて服も買って美容院にも行かせてる。お前はお姫様みたいに大事にされてる」と言って聞かせていました。機嫌の悪い時には傷付く言動の目立つ親でしたが、命の危機を感じたことはなかったし、大切にされた記憶も多かったのです。
だから今まで、辛いのは自分のせいだと思っていました。
イージーモードやノーマルモードで人生を始めていたら、どうなっていたのでしょうか。
ポケモントレーナーは皆幸せな家庭で育ち、出発する時には仲間となるポケモンを3匹の中から選べます。RPGのどんなケチな王様だって勇者が旅立つ時にはひのきのぼうと100Gくらいはくれますよね。
ハードモードの私には何もありません。
それどころか、マイナスからのスタート。何百万も借金があるし、鬱や愛着障害などの、治ることのない状態異常に苦しんでいます。
私も、みんなみたいに、幸せになりたい。
身分制度があったなら、不相応な高望みをすることはなかったのかもしれません。
江戸時代の商人の子は武士になりたいなんて思いませんものね。
全ての人に平等な権利が与えられた世界。
確かに社会での私は、他のみんなとおんなじ扱いを受けてきました。
学校で忘れ物をしたらおんなじように叱られて、友達の前で泣いたらおんなじように慰められて。おんなじように宿題を出されて。
それでも、おんなじようにはなれなかったのです。
私の頑張りが足りなかった。それは事実でしょう。
しかし人生の難易度があまりに高過ぎました。
生きづらさは全て個人の責任なのですか?私がワガママで欲張りなだけなんでしょうか?
ただただ、愛されて守られたかっただけなのに。
誰もが何者にでもなれる世界。夢がありますよね。でも私にとっては見せかけでしかなくて。
分厚いガラスの天井が何度も何度も阻んできて。
言葉を覚えるたびに、世界を認識するたびに、生きづらさの輪郭は はっきりと形を帯びてきます。知らなければ望むこともなかった景色の先に、いくつもの障壁が見えます。
平等だけれど公平じゃない世界線を、今もプレイしています。